育児休暇の終わり

もうすぐ育児休暇が終わる。この期間にやりたかったことはたくさんあったが、結局はほとんどができずにまもなく終える。家事育児は極度に神経を使うもの。無意識に神経が減らされていく。気楽に前向きにを意識しても無意識に神経はすり減っている。いつのまにか家族に強くあたってしまう。そんな自分を変えたいと、ずっと思い悩み、ふるまってきたつもりだが、いまだに変われない自分がいやだ。この期間、子供と向き合う以上に自分と向き合ってきた。自分を客観視できているだけでも、自分は成長できているのか、、、そう信じよう。

 

子どもたちの成長をただただ身近でみれたことは一生のうちでかけがえのないものだ。ただただ子供たちのことを思い、接してきた。この経験はこれから先は経験できないのであろう。長女はもうすぐ小3。学校や色んな習い事を通じて色んな環境、友達との付き合いの中で成長している。友達をつくるにも時間がいるタイプだが、各方面で気の合う友達ができ、毎日が楽しそうである。長女ともあり親として手をかけすぎたこともあり、これからは自分からやりたいことに挑戦し、夢中になれるものを見つけてほしいと思う。長男は持ち前の愛嬌で保育園や周囲を年代を超えて引き付ける魅力がある。その明るさ、やさしさに照らされ、それを見て回りは明るくなる。そんな明るさを絶やさないでほしい。次女はハングリー環境でほかの兄弟にはない逞しさがある。周りをよく観察し、教わるまでもなく自分のものにしようとする。実に三者三葉でバランスの取れた兄弟だ。

 

父親が育児の主体になろうと、母性をもって子供たちに接することはできなかった。子供たちが甘える先はいつも母親だ。多くは子供たちに与える影響は母性のほうが大きい。また、子供を温かく、辛抱強く見守る役目はやはり母親であることは変えられないのであろう。こうした点から、父親が育児休暇を取ることは本当に良いのかどうか、なんとも言えない。世の中は女性の社会進出のために男性育児をすすめているが、子供たちにとってはどちらが良いのか。自分の経験から、やはり母親が適切なのではないかと思う。

家事育児をこなす父親の姿。これが子供たちにとってあたりまえで、世間では稀なものとは思っていない。いつか世の中を知ったとき、子供たちにとって誇れる父親となれるだろうか。子供たちの人生に何らか影響していくものであろう。