仕事や子育てについて思うこと

育児休暇が10か月が終わろうとしている。やろうとしていたことが殆どできてていない。少し焦りもある。が、最近はこれでいい、と思うようになってきた。

育児と仕事の両立という考え方があるが、その可否は、育児への考え方、価値観でその考え方は変わると思う。自分にとっては育児休暇なしでは育児は実現できない。自分の理想の育児とは、子供とともに多くの時を過ごすこと。ただ、子供のための時間。ほかの全てを犠牲にしてでも(会社は辞められないけど)。育児休暇という制度は、その理想をかなえてくれるものだと思う。現実、働きながら、隙間時間での子育ても可能だと思う。それでも子どもは育つ。それが社会の現実なのであろう。ただ自分は社会の一部である前に、家族の一部と考える。いわゆる、仕事よりも家庭というもの。家族のことを第一に考えることが、育児への考え方の前提としてある。

では、何のために仕事は働くのか。まずは世間的な考えでいうと、社会貢献のため?お金を稼ぐため?自己成長のため?その仕事が好きだから(趣味)?いろいろあるが、どれも会社は強要するものではなく、個人が選択でき、会社は個人を支えるものだと思う。世間は何となく会社のために働けという考えが根強く、自己都合の働く考えかたをタブーとするが、そうさせないのが働く自由だと思う。では自分にとって仕事は?当然ながら家族みんなが幸せになるため。これから人生を送るために必要なスキルを得られる場でもあるが、あくまでもそれも家族の幸せのため、自分の幸せのために過ぎない。決して仕事を優先しない。こうした背景が育児休暇の背景としてあり、会社は本来、見返りを個人に求めるものではないと思う。

ただこんなことは会社には言えない。言っても何もいいことはない。
では会社にはなんという?何事も本質は共通する部分が多い。仕事と子育て
もそうだ。また、仕事の質は個人のモチベーションからくるもので、それは生活環境によって変わるもの。そのあたりが会社へはうまく報告するくらいはできるであろう。

仕事と子育てにおける大きな違いに気づいた。
仕事の多くは、短期で定量的な成果が求められる。一方、子育ては逆で、長期的で定性的な成果が求められる。それらのプロセスも、仕事では効率的な手法が求められるが、子育てに効率や合理性は排除しなくてはならない。結果を求めず成長を見守ることが最良の方法となる。(人を育てるという点では、本質的には仕事でも共通するのかもしれないが、やはり現実は、営利や競争原理がある以上、会社は個人の成長をのんびりまってくれない)つまり、人(物事)の内面、つまり本質を見て行動するスキルを高められているのではないかと思う。また、子育ては、子供の良い部分にどれだけ気づけるかも重要。仕事や普段の生活ではついつい悪い部分ばかり目についてしまうが、物事の良い部分に気づくスキルも身についているのかもしれない。